はじめまして、アンチエイジング専門鍼灸師の藤本です。私は、倒産の経験をもつ鍼灸師です。
現在私は、会員制の鍼灸整体サロンで患者さんの治療をする傍ら、年齢に関係なく動ける体を維持したい人向けのオンラインサロンを主宰し、「イケてるシニアライフを実現するための方法」を教えています。
この記事では、なぜ倒産経験のある私がエイジングケアに特化したプライベートサロンをするようになったかや、ブログやオンライサロンを開設するようになったいきさつをお話しします。
鍼灸師になって30年、これまで延べ18万人以上の患者さんと関わってきた経験を生かし、読者さん全員に楽しんでいただけるよう精一杯書きましたので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
なぜ鍼灸師になったのか?
今から37年前のことです。野球をしていた私は、甲子園を目指し地元を離れ野球入学をしました。
初めての夏の予選!早朝から私は、友達4人と他の部員より一足早く球場に向かっていました。駅から球場までの道のり、まだ人気の少ない静かな球場・・・他の部員はまだ誰も来ていませんでした。球場の正面入口に着くとその日の試合予定が張り出されていました。ふとそこに視線を送ると信じられない文字が
“第一試合 太成高校棄権”
自分の学校が棄権・・・なんで?一体何があったん?
友達の一人が家に電話をすると、学校に集合するようにと連絡が回っていました。私たちはすぐに学校に向かい途中、一人が売店で新聞を買うとそこには『太成高校棄権』の記事が大きく書かれていて、監督の部員対する暴力が内部告発されたのだと知り、やるせない気持ちなりました。
学校に着き、集合場所の視聴覚室の扉を開けて中に入ると、既に全員が揃っているようでした。しばらくして部長先生から事の詳細が説明されました。泣き崩れる3年生の先輩たち・・・3年生は夏の予選を戦うことなくそのまま引退。
それから半年程して下された処分は、2年間の対外試合禁止。自粛期間中に1年生が他校の生徒とトラブルを起こしため通常よりも重い処分となりました。
そのため2年生も大半は辞め、残ったのは2年後に夏の予選出場がかなう1年生だけとなりました。
試合も出来ない練習ばかりの日々、残った2年生からの風当たりはきつく、ケガや故障をすることもしばしばあり、そのたびに接骨院に治療に行くことが増え次第に野球に対する気持ちが薄れていくのを感じていました。
結局、私は肩を痛めながら試合には出たものの、チームは3回戦敗退という結果に終わり、私はケガで苦しむ私を支えてくれた接骨院の先生に憧れ、スポーツ選手の役に立ちたい!と思い治療家の道に進みました。
謎のプリンスパンション?
高校を卒業した私は、ケガの治療でお世話になった先生の紹介で、尼崎の接骨院に住み込みで働くことなりました。
家を出た私は、治療院の近くにアパートを借りました。その名が『プリンスパンション』一目見てマンションでないのはすぐに分かるけど・・・四畳半で家賃15000円と格安!トイレは共同、お風呂は銭湯が隣りにあったのでそこに行ってました。初任給は6万円でお昼のお弁当以外に、週3日は夕食も食べさせてもらっていたのでなんとか生活できていました。
そんな鍼灸学生時代を経て、国家試験に合格した私は、地元に戻り、高校生のときに通っていた接骨院で働くことになりました。
院長先生が天理大学柔道部OBということもあり、院にはバルセロナ五輪で活躍した柔道の篠原さん(当時はまだ大学生)が来るなど、たくさんのスポーツ選手が治療に来ていました。そのおかげで私は、ケガやスポーツ障害の症例をたくさん診ることができ、治療でスポーツ選手の役に立ちたい!という私の思いはいつのまにかかなっていました。
そんなあるとき、私のなかで気持ちの変化が起こりました。
逆子が繋いだ出会い
結婚し妻が妊娠したんですが、妊娠後期に逆子になり体操をしてもなおらず、お灸で改善を試みることにしました。
お灸で逆子が・・・?と思うかもしれませんが、逆子の灸は、鍼灸師なら学校で教わり誰でも知っているレベルです。
しかし、知るとやるとは大違いで改善せず悩んでいると、先輩が鍼灸院の先生を紹介してくださりその先生に治してもらいました。あとから分かったんですが、骨盤が狭く逆子になっている場合は、お灸では改善しないということでした。
先生は、夢分流の打鍼術という特殊な技法を使いいろんな症状の患者さんを治療をしていて、妻の逆子も打診で戻してもらいました。逆子がつないでくれたその先生との出会いが、私に鍼灸の奥深さ気づかせてくれたのでした。
その後も先生には、私が治せないような妻の症状をよく診てもらっていたんですが、だんだん同じ鍼灸師なのにどうして自分で治せないんだ!自分の大切な家族なんだから自分で治せるようになりたい!と思うようなりました。それから私は中医学を基礎から学び、それが今の私の治療のベースになっています。
晴天の霹靂(へきれき)
私が開業したのは、2002年のことです。分院長として管理していた院を引き継いでの独立です。介護保険によるサービスが2000年からはじまり、私も老人ホームに往診へ行くことが増えていました。
そこで目の当たりにしたのが、寝たきりの人の多さと治療の限界です。
「まさか自分が寝てきりになるなんて思ってもみなかった・・・」とポツンともらす人たち
中医学を学び治療の幅が広がった私ですが、介護度が重く寝たきりの状態が長く続くとツボの反応も出なくなり、治療しても良くなるものではないと気づきました。
寝たきりにならないように、もっと早くから何とかしないといけない、そんな思いから寝たきりのない街づくりをビジョンに、無料の送迎サービスや高齢者の筋トレをいち早く始めると新聞やテレビの取材を受けるなど地域で人気の治療院となりました。
37歳になった私は、自分の理想となる施設づくりに奔走してましたが、父が65歳で急死、その2年後母が、日本に50症例しかない疾患にかかり入院。西洋医学では手の施しようがなくなっていたところ、奇跡的に鍼灸で助けることができ退院したんですが、既に腎不全になっていて、その後亡くなるまでの10年間、透析治療を受けていました。2人とも寝たきりにはならなかったものの、人生の後半を楽しむことができませんでした。
元気になると損をする?
介護保険制度が始まって以降、地域の高齢者はどんどん介護サービスを利用するようになっていきました。
介護保険のサービスが広がったことで、介護をする側の負担が減って良かったと思う反面、要介護度が下がると手厚いサービスを受けれなくなるので、元気になったら損するみたいなことをいう人がたくさんいました。
元気でいるために頑張る人が少なくなってくる・・・
たしかに、高齢者が1人で暮らし家事をするというのは大変なことかも知れないけど、何もせずに寝てばかりいると早く弱ってくるのは容易に想像できます。
いったい誰のため制度なんだろうと、今でも私はそう思っています。
どん底・・・・
そんな私の思いとは裏腹に、地域の高齢者のほとんどが介護サービスを利用するようになると、それまで接骨院に来ていた高齢者は介護に流れ、患者数が年々減っていき経営状況は悪くなる一方でした。なんとか融資でやりくりしていましたが、債務超過となり遂には債務整理で院を手放すことに・・・独立して17年目のことでした。
私の稚拙な経営なため会社は倒産、その3ヶ月後に母が亡くなりました。院も会社も家もそして母まで無くし、自分が情けなく家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました・・・
あれだけ頑張ってきたのに、なんで上手くいかなかったんだろうか・・・?
誰のせいでもない、すべては自分の責任だと充分わかっている。
頭の中に色んなことが、洪水のように押し寄せ自分のなかで消化できない。そんなときにある人から言われました。
「経営者に向いてなかったんやな、一生十字架を背負って生きていかなあかんで…」
まるで自分が、ダメな人間なんだと言われたようで耳から離れない。とても辛く、そして悔しかった・・・
頑張っても報われないなら、もう頑張らない方が傷つかないですむ。頑張る気力が一滴も湧いてこない・・・
まさにどん底・・・・
どうやって復活したのか?
そんな暗闇から私が抜け出すことが出来たのは、頼ってくれる患者さんがいてくれたからです。こんな私でもついて来てくれる人がいる。ありがたい・・・だからその人たちのためにもう一度頑張ろう!そう思いそれが今のプライベートサロンに繋がっています。
でも、そう思えるようになるまで時間が必要でした。来る日も来る日も頭の中に浮かぶモヤモヤをノートに書き出したり、自分と向き合う時間を積み重ねての今です。
私は今53歳です。人生100年時代と考えるとまだ後半戦が始まったばかりです。父や母の分までシニアライフを楽しむために健康であり続けたいと思っているし、私の施術を受けに来る患者さんも私と同じ思いを持って頑張るいわば同志です。
このブログの理念
このブログでお伝えしたいこと、それは最後まであきらめない!ということです。
これまで多くのシニア世代の方々を治療してきましたが、その大半が歳だから仕方がないと自分の症状を諦めていました。
これすべて医者のせいです。「○○さんも、もう歳だから…老化ですね・・・」と医者からそう言われたら諦めるしかないですよね。
「歳だから仕方がない・・・」とすり込まれ、知らないうちに教育されてきたんです。
過去において老化は仕方がないものとされ、加齢にともなう不調はあきらめるしかなかったんですが、今は違います。予防医学という分野が発展し、老化は病気の前段階として認識され研究が進み、細胞の酸化やDNAに傷がついていることなどいろいろと解ってきました。
今や老化は「歳だから仕方がない」ことではなく、進行を抑制し元気で100年を生き抜く時代です。だからあなたも諦めないで、このブログ(美jing)に書いてある記事の一つだけでいいので、実践してエイジレスな生活を手に入れてください。
新型コロナウィルスがもたらしたもの
2020年、新型コロナウィルスが世界中に蔓延しこれまであたりまえだったものは失われ健康への意識が高まりました。
その結果、セルフケアをするようになり以前よりも健康になったという人と、そうでない人に別れました。
20~70代女性340名に実施した調査によると「持病の悪化を含む不調が出た」という人の割合は52%でした。世代別では40代が55%で「子育て」「ローン」「更年期」など悩みや心配事、経済的不安が大きい時期という背景があるようです。
そんなコロナ禍で対面で会うことが制限されている今だから、ネットで私の経験と知識が少しでも役立てばと情報発信をはじめました。
一人でも多くの人のお役に立てれば幸いです。